「思考は現実化する」とか「思ったことが叶う」といった話はよくありますが、私はスピリチュアルにはまっているわけではありません。
特に、YouTubeでスピリチュアル系の動画を出している人たちの一部には、宗教っぽくて怖かったり、お金儲けにしか見えないので、そういうのには抵抗があります。
ただ、考えていたことや書いたことが実際に起こった経験が何度もあるのは事実です。
ブログの身バレ?と疑ったが・・・
派遣で働くおばさんのブログには、書きたいことがたくさんありますが、身バレやネガティブな内容が原因でなかなか書けません。
そんな経験の一つに、以前、派遣先で嫌な思いをしたことをブログに載せたことがあります。
その直後に上司に呼ばれ、なんとそのブログに書いた内容の改善案を提案されたのです。ブログが読まれたのか!?と思いましたが、私のブログは弱小なので、その可能性は低いでしょう。
では、思ったことが現実になったのか、それとも単なる偶然か・・・
怖くなり、その記事は非公開にしました。今の派遣先を辞めたら、公開するかもしれません。
仕事関係ブログのリスク
そもそもの派遣ブログのはじまりは、趣味ブログに載せていた仕事関係の記事を分けたかったから。
実際に分けてみると、書けないことがあります。一度公開した後に、下書きに戻して、結局削除した記事がいくつもあります。
その理由はすでに記載してますが、大きく以下の2つ。
- 身バレ
- ネガティブな内容
身バレ
弱小ブログであっても、「身バレ」の恐怖はつきものです。
過去に趣味ブログで身バレしたことがあります。同じ趣味の人だったので問題はありませんでしたが、それ以来、趣味以外の話を載せにくくなりました。
特に、仕事に関するブログ記事は身バレのリスクが高いです。愚痴や不満を書いた場合、職場での立場が悪くなることは明白です。私なら、すぐに仕事を辞めるでしょう。
ブログ記事を載せる前に、関連するブログを読むことがよくあります。そこで見つけた恐ろしい話があります。
あるブログファンが、ブログに載せていた写真から自宅を突き止め、実際にその家まで訪ねて話しかけてきたというのです。
このような話をいくつか見かけました。こういうこともあるので、やはり身バレは怖い。
ネガティブな内容
仕事で嫌なことがあると、ついそれをブログに書きたくなることがあります。実際に記事にしたこともありますが、多くは下書きに変更したり、削除したりしています。
その理由の一つは、知り合いに読まれたらまずいからです。すでに記載している「身バレ」のリスクです。ネガティブな内容を公開するのは危険。
もう一つの理由は、自分自身が精神的に参ってしまうからです。
ネガティブなことを書くと、その影響で自分の気持ちがさらに沈んでしまうことがあります。悪い感情を言葉にすることで、一時的にはスッキリするかもしれませんが、後で後悔することも少なくありません。
また、ネガティブな内容の記事は、攻撃の対象になることもあります。仕事とは関係のない内容でも、SNSや掲示板で批判されたことが何度もあります。
その結果、私自身の気分も悪くなってしまいます。
人はネガティブな人に引き寄せられる話
いろんな本を読んでいると、似たような話が出てきます。
少し前に読んだ本「考え方を少し変えるだけで、人生が変わる」に、「ここにも出てきたな」と思ったのですが、私にとって「よく考えてみて!」という内容だと感じました。
100ページ程度で、行間があいているのであっという間に読み終わる本です。本の原文そのままではありません。言葉を変えています。
- 人はネガティブな人に引き寄せられる
- 思考したことが現実におこる
- 自分は自分の周りにいる人の平均
人は幸せなニュースよりも、不幸なニュースに興味を持ってしまうのは、人間の本質だから。
ということが本に書かれていたのですが、本当にそう思います。例えば、有名人の結婚話より、離婚等の話の方が注目されています。
最後に・幸せの話より不幸な話で仲間意識が高まるってどうなの?
友達との会話で、自分が幸せであっても、それを言いづらい雰囲気になることがあります。
例えば、誰かが不幸な状態にあると、事実でなくてもなぜか不幸自慢大会のようになってしまうことがあります。これは、人が他人の幸せを素直に受け入れられない心理が働いているのかもしれません。多くの人が経験している感情でしょう。
そして、そのような不幸話が広がると、なぜか嫌なことが次々と起きてしまうことがあります。これはブログにネガティブなことを書くときにも感じることです。
職場でも同じようなことが起こります。例えば、苦手な人について誰かに相談すると、その相手も同じようにその人を嫌っている場合、仲間意識が高まります。
しかし、これは本当に良いことなのか、何度も考えたことがあります。
気づくと、悪口を言い合う仲間ができてしまうことがあります。ところが、自分の中でその問題が解決したり、苦手だった人が嫌ではなくなった場合、仲間から抜けるのが難しくなることもあります。
さらに他にも感じていることがありますが、それについてはまた別の記事で書きたいと思います。